So-net無料ブログ作成
検索選択

全て翠になる日まで #2 死に際 [Midori]

定本 尾崎翠全集〈下巻〉

定本 尾崎翠全集〈下巻〉



尾崎翠の臨終の伝説について。
「六月末、高血圧と老衰による全身不随で鳥取駅に近い生協病院に運びこまれた。病室に着くと、彼女は『このまま死ぬのならむごいものだねえ』と呟きながら大粒の涙をぽろぽろと流した。数日後、彼女は肺炎を併発し、三日三晩昏睡をつづけて、七月八日、七十四歳で人知れず晩年を閉じた。」
稲垣眞美「解説」、創樹社版『尾崎翠全集』(1979)収録
創樹社版全集月報では、尾崎翠の甥である小林喬樹が、尾崎翠の危篤から臨終にかけての様子を克明に記している。七月のはじめに病院に駆けつけたときには、すでに伯母の翠の意識はなかった、という。
同じ月報に収録されている、尾崎翠の妹である早川薫の回想は、「私病人を抱えておりましたので、附添ってやることが出来ませず」という一文からも窺えるように、翠と薫の姉妹関係は、かなり現実的なものであったようだ。
「このまま死ぬのならむごいものだねえ」

この一言は、年譜の記述にも組み込まれており、尾崎翠の最期の言葉として、しばしば言及・引用されている。たしかに、印象にとても強く残る言葉で、悲劇の女流作家の人生の終焉を飾るのに、これほどふさわしい言葉はないだろう。

「妹薫が生前に語ったところによると、翠は死の直前に、日頃涙などみせたことなどなくむしろ頑なに寡黙を守った人なのに、「このまま死ぬならむごいものだ」と泣いたそうである。
 その涙は、独立して住む願いすら果たせずに不本意な薫との同居で終った日常の無念さからか。それもなくはないだろうが、人は死に瀕して無心に正気に返るという。あるいは、涙は、かつての文学への思いも伝えていたかもしれない。」
稲垣眞美「解説」、筑摩書房版『定本 尾崎翠全集』(1998)収録

浜野佐知監督による映画『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』(1998)においては、「このまま死ぬならむごいものだねえ」というセリフはない。白石加代子演ずる尾崎翠は、病床で「このまま死ぬのかねえ」と呟き、微笑みすら浮かべる。従来の悲劇的な尾崎翠像を否定し、生活者としての明るい尾崎翠像を新たに提示することを試みたこの映画は、稲垣評伝の読み換えを、独自の調査に基づいて、戦略として積極的に採用していた。

しかし、現時点で最新の尾崎翠の評伝である、水田宗子の『尾崎翠―『第七官界彷徨』の世界』(2005)では、「このまま死ぬならむごいものだねえ」という言葉に対して、稲垣評伝を踏襲する、極めて文学的な解釈が展開されている。

「このまま死ぬのならむごいものだねえ」

どうやら、この尾崎翠の「最期の言葉」は、それを聞いたとされる妹の早川薫がすでに故人であり、詳細の確認が不可能である以上、さらには、その言葉自体が、あまりにも魅力的・誘惑的であるがゆえに、おそらくは今後も、尾崎翠と切り離すことのできない言葉として、このままずっと流布し続けていきそうな気がする。

だけど。
すでに現役ではなくなっていた作家の、死に際のうわ言のことなんか、ある意味、別にどうだってよくはないか?
その言葉は、彼女が現役だったときに書き綴った言葉とは、ほとんど関係がない。
ましてや、書かなくなって、35年もが経過していて。入院直前に自分の過去の作品の再評価を知らされていたとはいえ。

わたしは、世界の残酷さを表現する一フレーズとして、尾崎翠の「最期の言葉」なるものをひどく気に入ってはいるけれど、それが、彼女の一生を彼女自身が総括した、尾崎翠の最後の作品(辞世の句のごときもの?)だった、という風には、決して考えないことにしている。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0