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全て翠になる日まで #3 書評 [Midori]

『尾崎翠フォーラム報告集2006』の書評を執筆させていただきました。

翠ムーブメント再到来の予感

 二〇〇六年七月の尾崎翠フォーラムに初めて参加した私は、鳥取でその活況に直に触れることができ、新作『こほろぎ嬢』について語った浜野佐知監督の、尾崎翠の再々評価のムーブメントを起こすことができたら、というメッセージに胸を熱くした。
 一〇月には、東京国際女性映画祭での『こほろぎ嬢』上映があり(注1)、さらに、塚本靖代氏の遺稿集『尾崎翠論』(注2)の刊行があって、尾崎翠とその作品を介して、多くの人々が繋がっている、と強く実感した。
 「尾崎翠」をキーワードに設定して、インターネットを検索したときの、検索結果の件数は現在、八万件を越えている。この十年の間に、その件数は、驚くべき勢いで増加した。
 尾崎翠は、すでに知る人ぞ知るマイナー作家ではなくなり、特に、若い女性読者たちからは「定番中の定番」(注3)の作家として、熱烈な支持を集める存在にすらなっているのである、少なくともネット上においては。
 『尾崎翠フォーラム2006報告集』は、尾崎翠の作品に仏教哲学を照射した西法寺住職の山名法道氏、および、「性とパン」を切り口にしたシャープな考察が印象的だった黒澤亜里子氏の、二つの講演の内容が収録されているほか、黒澤氏により新たに発掘された、尾崎翠の少女小説「雪の上」を読むことができる。
 また、日出山陽子氏、布施薫氏が、東京から鳥取に帰郷する前後の尾崎翠について、そして、「恋びとなるもの」(注4)高橋丈雄との関係について、窺い知ることができる、重要な新資料を紹介している。
 布施氏が紹介している、これまでほとんど知られていなかった、高橋丈雄の小説「月光詩篇」の存在そのものが、今後の尾崎翠研究において、取り扱いに注意を要する、危険な課題となることは、間違いないであろう。
 面影小学校の六年生たちによる尾崎翠についての調査を行った総合学習の報告も、非常によくまとまっており、地域の文学と教育のあり方について示唆した資料として、興味深く読んだ。
 今回の報告集の、多角的かつ充実した内容に、六年目を迎えた尾崎翠フォーラムの存在感がよく表われていると思う。
 今後、ますますの発展を、刮目して待ちたい。

注1
二〇〇六年十月二十六日。今回の映画祭において最高の入りを記録する盛況ぶりであった。
注2
塚本靖代『尾崎翠論 尾崎翠の戦略としての「妹」について』近代文芸社、二〇〇六
注3
千野帽子『文藝ガーリッシュ 素敵な本に選ばれたくて。』河出書房新社、二〇〇六
国内最大手SNS「mixi(ミクシィ)」内の、「文藝ガーリッシュ」コミュニティには約1900人、「尾崎翠」コミュニティには約500人の登録者が参加している。
注4
高橋丈雄「恋びとなるもの」、『尾崎翠全集』月報、創樹社、一九七八

木村カナ(フリーライター、日本近代文学研究者)

「日本海新聞」2007/1/30付9面に掲載

このテキストは尾崎翠フォーラムホームページhttp://www.osaki-midori.gr.jp/)にも転載されています。
http://www.osaki-midori.gr.jp/5-SINKAN/06hokokusyusyohyo.htm


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全て翠になる日まで #2 死に際 [Midori]

定本 尾崎翠全集〈下巻〉

定本 尾崎翠全集〈下巻〉



尾崎翠の臨終の伝説について。
「六月末、高血圧と老衰による全身不随で鳥取駅に近い生協病院に運びこまれた。病室に着くと、彼女は『このまま死ぬのならむごいものだねえ』と呟きながら大粒の涙をぽろぽろと流した。数日後、彼女は肺炎を併発し、三日三晩昏睡をつづけて、七月八日、七十四歳で人知れず晩年を閉じた。」
稲垣眞美「解説」、創樹社版『尾崎翠全集』(1979)収録
創樹社版全集月報では、尾崎翠の甥である小林喬樹が、尾崎翠の危篤から臨終にかけての様子を克明に記している。七月のはじめに病院に駆けつけたときには、すでに伯母の翠の意識はなかった、という。
同じ月報に収録されている、尾崎翠の妹である早川薫の回想は、「私病人を抱えておりましたので、附添ってやることが出来ませず」という一文からも窺えるように、翠と薫の姉妹関係は、かなり現実的なものであったようだ。
「このまま死ぬのならむごいものだねえ」

この一言は、年譜の記述にも組み込まれており、尾崎翠の最期の言葉として、しばしば言及・引用されている。たしかに、印象にとても強く残る言葉で、悲劇の女流作家の人生の終焉を飾るのに、これほどふさわしい言葉はないだろう。

「妹薫が生前に語ったところによると、翠は死の直前に、日頃涙などみせたことなどなくむしろ頑なに寡黙を守った人なのに、「このまま死ぬならむごいものだ」と泣いたそうである。
 その涙は、独立して住む願いすら果たせずに不本意な薫との同居で終った日常の無念さからか。それもなくはないだろうが、人は死に瀕して無心に正気に返るという。あるいは、涙は、かつての文学への思いも伝えていたかもしれない。」
稲垣眞美「解説」、筑摩書房版『定本 尾崎翠全集』(1998)収録

浜野佐知監督による映画『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』(1998)においては、「このまま死ぬならむごいものだねえ」というセリフはない。白石加代子演ずる尾崎翠は、病床で「このまま死ぬのかねえ」と呟き、微笑みすら浮かべる。従来の悲劇的な尾崎翠像を否定し、生活者としての明るい尾崎翠像を新たに提示することを試みたこの映画は、稲垣評伝の読み換えを、独自の調査に基づいて、戦略として積極的に採用していた。

しかし、現時点で最新の尾崎翠の評伝である、水田宗子の『尾崎翠―『第七官界彷徨』の世界』(2005)では、「このまま死ぬならむごいものだねえ」という言葉に対して、稲垣評伝を踏襲する、極めて文学的な解釈が展開されている。

「このまま死ぬのならむごいものだねえ」

どうやら、この尾崎翠の「最期の言葉」は、それを聞いたとされる妹の早川薫がすでに故人であり、詳細の確認が不可能である以上、さらには、その言葉自体が、あまりにも魅力的・誘惑的であるがゆえに、おそらくは今後も、尾崎翠と切り離すことのできない言葉として、このままずっと流布し続けていきそうな気がする。

だけど。
すでに現役ではなくなっていた作家の、死に際のうわ言のことなんか、ある意味、別にどうだってよくはないか?
その言葉は、彼女が現役だったときに書き綴った言葉とは、ほとんど関係がない。
ましてや、書かなくなって、35年もが経過していて。入院直前に自分の過去の作品の再評価を知らされていたとはいえ。

わたしは、世界の残酷さを表現する一フレーズとして、尾崎翠の「最期の言葉」なるものをひどく気に入ってはいるけれど、それが、彼女の一生を彼女自身が総括した、尾崎翠の最後の作品(辞世の句のごときもの?)だった、という風には、決して考えないことにしている。

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全て翠になる日まで #1 出会い [Midori]

尾崎翠

尾崎翠


インターネット以前の時代に片田舎で思春期を過ごしたある女の子の話から始めよう。

初めて尾崎翠の本を読んだとき、わたしはまだ地方都市在住の高校生で、活字にひたすらに飢えながら、ひどく退屈な日常生活を送っていた。楽しいことはいつも遠くにあった。美しいことは常に書物の中にあった。門限は夕方の5時、日が暮れて暗くなる前には帰宅し、家族と食卓を囲まなければならない。学校と自宅との往復だけに拘束された日々の中で、多少は気分が変わる、その数少ない機会は、休日、図書館と本屋にいるときだけだったのだ。

上掲した尾崎翠の本に出会ったのは市内の本屋だった。わたしが住んでいた街の中心部にあったファッションビル、その地下にリブロ(本屋)があった。(現在ではそのファッションビルは売り上げ不振ですでに閉鎖され、もちろんリブロもなくなっている。)時に伝説として語られる、あの全盛期のリブロ池袋店のラインナップを系列店として意識していたのか、そこら辺の他の本屋とは明らかに毛色の違う品揃え、幻想文学の本棚を見上げては溜息をつく。バイトも許されていない、お小遣いも少ない、ときたら、大抵のハードカバーは諦めて購入は見送るしかなかった。けれども、ある日、文庫の棚に、妙に惹きつけられる表紙を発見してしまう。柔らかな薄緑で描かれたフキノトウの絵のカバー。そこにかけられた帯(いつのまにか紛失してしまった)には、たしか、こう書いてあった。

「今晩蘚が恋をはじめたんだよ。」

奇妙で不可思議なこの一文を、何度も何度も、繰り返し読んで、わたしは、どうしても気になるその一冊の、やや高額な文庫本を、結局、ふらふらと購入してしまったのだった。

それが、わたしと尾崎翠の作品との出会いで、あれからもう15年もの年月が経ってしまった、いつのまにか、あっという間に。


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